東京・代田橋のアトリエで、鈴木麻理は細い針を布地に向けて静かに落とした。その針の先にある刺繍糸の直径は0.1ミリにも満たない。しかし、彼女が一つの作品に費やす時間は平均して150時間以上。一枚のメープルの葉を刺繍で表現するためだけに、数千の縫い目が重なり合う。
「葉脈の一本一本に糸があって、その間の緑や赤も糸で埋める。メープルの葉って、見れば見るほど複雑なんですよ」と鈴木は笑う。彼女の作品の前に立つと、それがただの刺繍であることを一瞬忘れてしまう。
自然の精密な観察から生まれる技
鈴木の仕事は、森の中での観察から始まる。秋になると、メープルが多い公園や山道を歩き、落ちた葉を数十枚持ち帰る。同じ木でも、日当たりによって葉脈の走り方が異なること、傷ついた葉がどのように変色するかを詳細に記録する。
「刺繍は、見たものを再現するだけじゃなくて、なぜその形になったかを理解してから針を持つと変わる。葉脈は、葉が水分と栄養を運ぶための道。その機能的な美しさを表現したいんです」。
素材への徹底したこだわり
鈴木が使う糸は、すべて草木染めの絹糸だ。市販の刺繍糸では出せない、微妙な色の深みと光沢があるという。特に秋のメープルの色を表現するために、紅葉した実際の葉から染めた糸を使うことさえある。
糸の購入先は主に京都の老舗糸屋と、長野の染色家から。時間をかけて築いた信頼関係から生まれる素材との出会いが、作品の質を決めると彼女は言う。
現代の生活空間に溶け込む工芸
鈴木の作品は、フレームに入れて飾るものから、実際に使えるハンカチやストールに施されるものまで様々だ。「工芸は使ってもらってこそ生きる」という考えから、日常的に触れられるアイテムへの刺繍も積極的に手がける。
実際に彼女の刺繍が入ったリネンのハンカチを手にとって使うと、日常の中に小さな美術館が宿るような感覚があった。洗うたびに少し色が変わるのも、天然素材ならではの表情だ。